昭和45年11月07日 夜のご理解



 今日、桜井先生の奥さんがおまいり、いま三日にいっぺんづつ、幹三郎の祈願のためにと言うてから、三日にいっぺん福岡から、本当に、まあ、出にくいところを、辛抱して御参りして見えられます。今日もまあ、いろいろお届をされた後にこういうようなお届けをされます。私は、そのお届けのことが、あまりに素晴らしいことだと思ったから、言われた通りの事をここに書いてみた。
 信心生活が、結局拝み合いの生活だと言われておるのですけれど、やはり、そこに拝めるなにものかが、無からなければ、なかなか形の上で拝んでおるというだけのことでは、本当の拝み合いにならない、と言うことなんですけどね。こう言うことをいうとりました。これ言われた通りですから。「ここで言われる、成り行きを大切にすると言う事が解りませんでした。」
 そのことが、最近主人の信心を通して、すこしわからせていただいています。主人のことを見せていただいていましても、良い事よりも悪い事、都合の良い事よりも都合の悪いことのほうが多くありますが、その、都合の悪いことが結果において、段々おかげになってまいりますことを見せて頂いておりますと、私もそのような信心にならせて頂きたいと思うようになりました。」と頂いて、ね。  
 まあどちらかというなら二人ともあちら御道の教師ですからね。教師の資格を持っておられる。ですから資格においては同じなんですよ。ほいであぁいう桜井先生自身が大人しいお方ですから「あなたが大人しいから、どこ行っても馬鹿にされるのですよ」と言った様な、見方ばっかりしかしていなかったという訳なんです。ね。ところがあのここで成り行きを大事にすると言った様な信心をてっていして主人が。
 しておるのを見ておりますと愈々もう。あなたは馬鹿ん馬鹿んされると言った様な思いが強かったと言われる。それが最近はね、最近はもうそれこそもう ぼっとりして帰ってこられるそうです。最近やっぱりきつい仕事らしいです。ですからもう風呂にも入ろうごつないちゅうごとして、帰ってみえのを見て、ほんとにあのう、どうかしてか主人を、まぁいたわってやりたいとこう思うし。
 又その仕事もまた私どものために働いてくれる事を有難いと。こう思いますとこう。ね、だからそういう主人がへとへとになって帰って来るから拝まにゃおられんとか。主人がへとへとになって来るから、あぁ有難いと感謝して、それに対して奉仕をするのが妻だと、言った様な事では本当の拝み合いにならない。何故って言ったらそれと反対に、今度はそんなにいつもかつも主人が。
 働いている時ばかりではないからなんですよね。ですからその主人が信心に取り組んで、その成り行きを大事にしておると言う事が、主人の信心を通して段々解らして頂いて。自分もそういう信心になりたいと思うとこう言う。今まではあぁ貴方が人間がよいからこんな事になるというのがですね、それを見せて頂いておると段々、成り行きを大事にすると言う事が成程、都合の良い事よりも悪い事。
 良い事よりも悪いことのほうが多いけれども、その結果としてそれが段々、時間がたっていくとです、その都合の悪いことがおがげのもとになっていっておるのを見ると、そういう信心を身につけていっておる主人が。改めて拝まれる様になったとこう言う事です。私これは主人だけじゃない、家内だけじゃない是はもう全てがそうです、ね、結局信心をさせて頂く者自身がいかに教えに取り組んで、その教えが実を結んで行く所までおかげを頂いていかなければならない。
 そこから拝み拝まれる様なおがげ、ここから初めて主人が拝める様になると言う様な所をまず。そう言う事ではないかと私は思わせて頂きますがね。桜井先生の本当にただ、有難い尊い事が分かってみえた訳ですねと。これから愈々成り行きを大事にしておいでられるでしょう。そして愈々そこをあなたが拝んでいかれることになられたら、愈々有難い事になりますねというお話した事ですよね。
   どうぞ。